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2005年7月 7日 (木)

七夕

今日は七夕です。七夕についていろいろとうんちくがあるので少しご紹介します

一般に流布している伝説は天帝の娘で機織り(はたおり)の上手な織女と働き者の牛飼いの牽牛が結婚したが、結婚してから二人が働くなったので、天帝が怒り、年に一度七夕の夜にしか会えなくなったというもの。

もともとは中国で行われていた7月7日の夜に供えものをして裁縫や習字の上達を織女星に祈る祭り「乞巧奠(气巧奠:きっこうてん)」。

七夕伝説とともに奈良時代の日本に伝わり、やがて江戸時代には笹竹に願いことを書いた短冊をつるす七夕の風習になりました。

ところで旧暦の七月の呼び名は文月。これは、「乞巧奠」の行事や、牽牛、織女星に詩歌を献じた風習に由来する呼び名と言われています。万葉集にもその名が見られます。

七夕(しちせき)を「たなばた」と読むのは、「棚機女(たなばたつめ)」が語源とか。棚機女は古来日本に伝わる「神のために水のほとりで織物を織る巫女」のことで、天の川のほとりの織女と習合され、七夕は「たなばた」と呼ばれるようになったといわれています。

京都の太秦(うずまさ)に木島(このしま)神社があり、別名”蚕の社”ともいわれ、7世紀ごろに渡来系氏族の「秦氏(はたし)」が養蚕と織物の神を祀ったのが始まり。機織(はたおり)のハタ」はこの秦氏から来ているともいわれています。

秦氏・・・一説に中国・秦(しん)から亡命した人々ともいわれるが、日本へ渡来した氏族としては最大の勢力で、あらゆる先進技術をもたらした。蚕を育て絹織物を作り出すことでは特に名高く、朝廷への献上品をうず高く積み上げたので「禹豆麻佐(うつまさ)」という性を与えられたといいます。これが「太秦(うづまさ)」という地名の語源だと言われているのです。

秦氏は最先端の機織(はたおり)具を持ち込み、そしてこの機織に従事する専門の「織女」が数多くいたでしょう。できた絹織物は一部の階級層と、神への供物として献上され、これが天帝のために機(はた)を織るタナバタの織女に通づるのでしょう。

秦氏→ハタ織り→棚機(たなばた)→七夕

中国を故郷とする秦氏が七夕の祭り「乞巧奠」を伝えて日を本に根づかせた可能性があります

ちなみに台湾では七夕は東洋版バレンタインデーともいえる「恋人たちの日」とされており恋人同士が互いに贈り物を送ったりすると言われています。この日に雨が降ると牽牛と織女が流す、うれし涙だとして喜ぶのだそうです。

所変われば・・・・という感じですね。

ちなみに私は、昭和のとある年の今日生まれました。感謝!

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